目黒区区議会議員 飯田倫子>

子ども手当てにつき第二回目黒区議会本定例会で質問しました

2011年8月アーカイブ


 今日は、防災の日も近いことから恒例の区内地域別防災訓練が中根小学校にて実施。気候が今日は暑さのぶり返しで多少夏日だったが、

地域の町会・住区組織の方々が大勢参加され充実した訓練が行われた。

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     消火器放水訓練は主に水を入れた消火器からお子さんたちに的をめがけて放水消化する練習をしていただき、参加された御婦人方には

下水道直下型簡易トイレの組み立て方を実践してもらい、また平町町会の有志の方々には木造で造った見本用の屋根を切り出し、内部に閉じ込められたけが人を運び出す訓練を・・・大岡山西町会の皆さんには地域に設置してある防災倉庫からリヤカーと防災工具を引き歩いて家の中に

取り残された負傷者を見つけ、球出し医療救護班へ運ぶ訓練を見せていただいた。私街の西町会は隣の同じ大岡山町会と同じ不肖この私が設置した防災倉庫の中にリヤカー等防災工具一式が保存されていて今日初めて日の目を見て使用されたのは大変嬉しかった。

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また、リヤカーの中の工具を使って瓦礫の下に挟まれ、負傷した方をジャッキを使って女性たちが引出し、毛布と棒を使って簡易タンカーを

造り救護所へ運んだ訓練は上手にできていた。簡易トイレのマンホール内は写真の通り。また現在都下の地面中に走っている下水管は

大地震の揺れには耐えられるものでなく、直ぐに直結部分がはずれ水が路上にあふれだすものが大部分なので、下水道局では順次新管に交換作業を進めているという。下水管の中も汚物が詰まりやすいので科学の力でファイバースコープ機会を使用し、中を胃カメラのように見ることができるようだ。

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 いずれにしても、煙体験やアルファ化米の炊き出しとかけうどんの配給がお昼には全員にくばられ、無事訓練は終了しました。一人でも多くの

近隣住民の方々のこれからはご参加がずむーすに避難を進めることにつながりますので、地域の皆様の積極的なご理解とご協力をお願いします。お疲れ様でした。


終戦記念日に。

 今日は朝7時半に家を出て、出で立ちから気持ちを引き締め靖国神社へ向かいました。先に北方領土近くまで行った私の気持ちの中には、今後の隣国との外交や先の戦争の悲劇がごっちゃになって心配事として刻まれています。

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  行ってみると大勢の参拝客が既に参道をうずめ、目黒区から参加していた磯野議員、宗田議員とともに控室で待つこと50分。9時少し前には丸川珠代議員、石原ひろたか前議員とともに本殿一番前に参座させて頂きました。心から今後の日本の平和をお守り頂けるようお祈りし、終わって外で自民党議員全員(全国の)で記念写真を撮り散会しました。

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 私はひとり、追悼式の挙行予定の武道館へ。入り口では案内状を持参した方のみ入場可ということで、生憎持っていなかったので引き返しました。自宅に着くとちょうどNHKニュースにて天皇陛下のお言葉を拝聴でき武道館内部の状況も映像で見ることができました。

 

 今日、思うことはこれからは特に隣国諸国との関係の進め方が重要で、やり方ひとつ間違えるとまた第3次大戦のような悲劇にもなるということです。ただ、どこの国も自国の利益を考えない国は無いのであって、それを上手に絶やさず対話で交渉するのが大切と思います。

 何か利益がぶつかるときは相手国に何も言わない、しない、動かないのはすべて認めたことになるという世界的認識を持たねばダメだと思います。沈黙は決して美徳ではありません。これからの国政のリーダー達はどうか心して言うべきは上手に主張してほしいと思います。

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北方四島を目指して。

 ロシアのメドベージェフ大統領がいきなり北方領土に降り立った時には驚きと怒りで一杯になった私でした。毎年自由民主党目黒区議団で勉強の為にどこかへ自費視察に行きますが、今夏は仲間の区議団で北方領土の少しでも近くに行こうとなりました。

 

 所謂、沖縄の普天間基地問題で現政権が滞りを見せて以来、尖閣諸島問題や中国漁船問題、メドベージェフ来訪?など、我が国を囲む諸国との外交の心配があります。先ごろ、ロシアはいきなりの大統領訪問をこともなくやってのけて、その後国後島付近に軍備増強をするとありました。中国やロシアの両方に、今日本は色々なやり方でイニシアチブをとられていると言えます。

 

 我々、区議会議員が政府の外交に何ら影響を及ぼせるものではないのは分かっているのですが、少しでも北方に暮す同じ日本人の方々がどのような思いでおられるのか、今後地方から何か支援できることはないのか知りたくて参りました。奇しくも、自民党の佐藤・新藤・稲田国会議員がウルルン島へ旅立つ同日同時刻に我々は北方へ旅立ちました。

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  択捉、国後、色丹、歯舞群島からなる北方四島は我が国国民が父祖伝来の地として受け継いできたもので、かつて一度も外国の領土となったことのない領土だったそうです。ですが、第二次大戦後8月14日、日本がポツダム宣言を受諾し降伏してから8月18日からソ連がカムチャッカ半島から攻めてきたのです。

 

 私達は1日目に羽田から釧路空港へ飛び、一路納沙布岬へと向かいました。ここには、漁業に出て拿捕され、帰らなかった方々を悼む記念碑や北方館という歴史を展示した建物があり、内観して勉強になりました。

 北方館には、戦後ソ連が攻めてきて次々と島を追われて本土に戻された方々の心の拠り所となっている望郷の家や、北方領土返還要求運動を始めた原点の資料が展示されていました。

 この岬から漁に出る漁船が襲撃されないよう、ソ連と漁民の間に立ってお金を払う漁船が漁をできるよう骨をおった方が写真の方です。お金を1艘につき年間36万円払わないと漁ができなかった、今もできないと聞いて本当にやるせない気がします。お金を収めた漁船は胴体に赤い線が塗装されています。館の入り口には4島を結ぶ想いの茶色いアーチがありました。

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 私達はさらに少し移動し、北方四島交流センターに伺い、お約束しておいた北方領土問題対策協会の小田嶋氏・佐藤達雄氏・中田勇氏・女性の遠藤氏にお話をお聞きしました。当時の4島に生活のすべてを残し、命からがら真っ暗な船腹に身を潜め、やっとの思いで本土に帰ったことを伺いました。彼らはいわば財産を失ったわけで、その面の保証も口にしておられましたが、東京にも会の支部があるそうで、私達も協力できることはしたいと強く思いました。

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 2日目には、尾岱沼(おだいとう)漁港から、視察船に乗り、北海道本土と国後島の間の海峡を進みました。上記の写真の船に乗って、ガイドさんの説明を聞きました。

 

 国後島のノツエト御崎と標津町の間をドキドキしながら行き、遠く国後島を見ることができたのも、船長さんが年配のおじさんで、操縦席のレーダーを見ながら拿捕される8キロ地点ぎりぎりまで船を進めてくれたのです。私達は国会議員でもないので、ビザなし渡航はできませんでしたが、領土返還に一生をかけている高齢の方々のお顔が忘れられなくなりました。

 

 若い世代に返還の想いをぜひ伝えて、都心の方々の応援を欲しいと伺って帰りました。日本は今、実に多くの課題を抱えていてよほど国政がしっかりしないと、日本に未来はない気がします。「歴代の総理や北方領土担当大臣が次々来てくれても帰ったら何の音さたもないのが現状だ」という言葉と、大臣たちが訪問時に撮った写真が大きく展示されている様は、国政の実力を物語っていると感じました。この上は国民がもっと賢くなるしかないと私は改めて思いました。

どうか、これを見て下さった皆さん、北方におられるこれらの方々にお力をお貸しください。

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